平行植物
『スイミー』『あおくんときいろちゃん」などの作品で知られる、レオ・レオーニの幻想博物誌。
博物学に関する本を探しているときに見つけた1冊。
幻想、なので、書かれている詳細な論文も緻密なスケッチも、その全てが創作だとはわかっているはずなのに。
はずなのに。。。
この世界のどこからが現実で、どこからが幻想なのかわからなくなり、心地よい混乱に巻き込まれてしまう。
自然と知と幻想世界の博物誌。
なんて、かっこいいこと書いてしまっていますが、実は難しすぎて(汗)
言葉が脳みそから滑り落ちていく感覚(苦笑)
ひよこは にげます
楽しみにしていた【こどものとも年少版】が本日発売されました!
(地方だから雑誌入荷が遅れるのです…)
五味太郎さんの『ひよこはにげます』
以下少しネタバレあります。。。
ひよこたちがみんなで元気に逃げていく様子がコミカルに描かれています。
逃げた最後は…【おうちへにげます】
おとうさん、おかあさんが待つおうちに帰れてよかったね、と思わず笑みがこぼれる絵本です。
年少版、となっていますが、1歳ぐらいのこどもでも一緒に楽しめる絵本だと思います。
『きんぎょがにげた』とご一緒に!
ざっそう
土の地面にも、アスファルトの地面にも、どこにでも生えている雑草。
放っておいたらどんどん生えてきて、辺り一面、雑草の緑で覆い尽くされてしまう。
だから、ちょっとでも生えてきたらすぐに刈り取られ、引っこ抜かれてしまう。
それが、雑草。
以前、NHKの特集で春夏秋冬、地面に這いつくばって観察をしスケッチをしている著者の特集を見たことがある。
雑草とひとくくりにされている草々のひとつひとつに名前があり、個性がある。
著者の甲斐さんは、ひとつひとつの草に愛情を注ぐ。
そのスケッチは、生命力の美しさに溢れている。
この絵本を読むと、つい足元を観察してしまう。
かわいらしい花を咲かせている草を見つけると、ちょっと楽しくなる。
ずっとずっと若い頃から、わたしは
【雑草のように強く、野に咲く花のように美しくありたい】と思っていた。
引っこ抜かれても、刈り取られても、たくさんの種を落として次から次へと芽を出す草花、雑草。
美しい花を咲かせることができるよう、強くなりたい。
トルストイ ショートセレクション 三びきのクマ
児童書版元の理論社から刊行された、ショートセレクションのシリーズより。
このシリーズの最大の特徴は、イラストがヨシタケシンスケさんであること。
版元営業の方からは
「ヨシタケシンスケさんのイラストなので、女子大生にも好評だと思うんです」
「児童書だけでなく、ぜひ文芸書コーナーでも展開してください」
とオススメされましたが、イラストがかわいいという理由だけで女子大生が買うのかが全く不明だと感じたのはナイショ。
古典と言われそうな作品を、ヨシタケさんの絵で親しみやすくしていてハードルが下がるのは事実だと思う。
(女子大生は関係ないかと…)
実はほぼ読んだことない。
高校生の頃にTVで放送されていたモノクロの映画『アンナ・カレリーナ』を見て手にとっては見たけれど、途中で断念…。
今回は、表紙の親しみやすさ←と、短編集という事でハードルが下がったので読み進めてみたのでした。
表題の『三びきのくま』を含め、全8話が収録されている短編集。
人間の理性、良心、賢さ、愚かさ、狡猾さ…がどの作品にも描かれていて、教訓めいているのだけれども、ストーリーがおもしろいのでスッと読むことができる。
短編の1つ『小悪魔がパンの恨みをパンではらす』というお話は、悪魔見習い?の小悪魔が貧しい爺さんの昼食のパンをかすめ取るところから始まる。
パンを取られた貧しい爺さんは悲しんだけれど「取るのには理由があったのだろう、恵んでやったと思っておくさ」と口にする。
罵声を期待していた小悪魔は悔しがり、大悪魔にパンの敵を取ってこい、と命じられる。
小悪魔はパンで恨みを晴らそうと、あの手この手を使い、貧乏な爺さんをお金持ちにし、爺さんが持っていたずるく暴力的な心を引き出してしまう。
小悪魔は言う。
「ケダモノの血はもともと人間の中にあるんです」
「豊作で麦が余ったら、爺さんは頭を使い始める。自分を幸福にできる方法はないかな、と」
貧しい時ほど良心や理性や本当の賢さを持ち、自身が恵まれるほど暴力的で愚かでケダモノになってしまう。
これが、人間というもの。
わたしの中のケダモノを手懐けるため、わたしは今日も本を読み賢くあろうと努力をしている。
三びきのクマ―トルストイショートセレクション (世界ショートセレクション)
- 作者: レフトルストイ,ヨシタケシンスケ,Lev Nikolayevich Tolstoy,小宮山俊平
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 2018/02/01
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
もうちょっと もうちょっと
表紙のユーモラスさと色彩に惹かれて手に取った絵本。
おなかがすいたコブタが、りんごの木の下でりんごが落ちてくるのをいまかいまかとまっていた。
ずっとずっとまっていると、ついにりんごがポトーン。
「やったあ!!」
と、よろこんだのもつかのま。
りんごはコブタのはなにぶつかって、いわのあなのなかにコロコロコロ…。
コブタがいわのあなのなかに手をのばしてもとどかない。
サルもキツネ、いろんなどうぶつたちがやってきて
「もうちょっと もうちょっと……」
とがんばるけれど、なかなかとれない。
ゾウがいわのあなのなかにながいはなをいれると。。。
「もうちょっと…」がなかなか届かなくてみんなで応援したくなる。
最初はコブタと1つのりんご。
穴に落ちたりんごを取ろうとどうぶつたちが増えていくけれど、りんごは1つだけ。
だれがりんごを食べるのかしら?
なんて、語りかけながら読み聞かせをしても楽しいかも。
わたしには描かれているりんごがどうしてもハートに見えてしまうので、
最後の場面にホッコリとしてしまったのでした♡
銀杏堂
美しい装丁、イラスト、プロローグに惹かれ、思わず購入してしまった児童書。
「ああ、これは小さなレディに、とんだ失礼をしてしまいました。ええ、ええ、あなたはここにあるものをこわしたりなんてしないでしょうね。どうぞ許してくださいまし」
レンちゃんの通学路にある【銀杏堂】はこまごまとしたものが並んでいる小さなお店。
お店にいる小さなおばあさん〈高田さん〉と友だちになったレンちゃん。
高田さんが話してくれたのは骨董品ひとつひとつに秘められた数々の冒険物語。
レンちゃんをこども扱いしない高田さんが話してくれる冒険談は、そのどれもが凛として、高田さんが一人の人間として生きてきた事を教えてくれる。
その緑色の石はオーロラのようにつねに色をかえてゆらめいていた。
ふしぎな緑の世界に閉じこめられた、四つ葉のクローバー。
ユニコーンの胸につかえた苦しみや悲しみが吐き出されたあとに残った、美しい緑色の石。
まるで悲しみの結晶のような石だけど、クローバーというしあわせな希望が埋め込まれていた。
人は誰しも自分の中に石を持っている。石を抱えて生きている。
温かい手のひらで背中を擦って石を吐き出したい、という衝動を持って生きている。
けれど、悲しみの石が美しいものだとしたら、一生飲み込んだまま生きていくのもいいのかもしれない、と高田さんはレンちゃんに語るのだ。
この【四葉のクローバー入りエメラルド】というお話は、村上春樹の短編『タイランド』を思い出させる。
わたしの胸につかえている石は何色なのだろう。
いまを生きることも大切だけど、人間はそれだけじゃ生きられない。思い出をものにたくすと、そのものはかがやく。
誰かからみたらガラクタかもしれないけれど、ある人からみたら自分の生き様を物語ってくれるたからもの。
大人になった今だから、この物語が心に染み渡る。
高田さんのようなおばあさんに、わたしはなりたい。
自己紹介
はじめまして。
ビールがあればそれだけで幸せな不良兼業主婦、こなかです。
結構長い間、本に関係する仕事をしてきたので、一応「趣味は読書」って言うことにしています。
小学生の頃は電話帳や辞典を引っ張り出して読むくらい、活字に飢えていたけれど、
大人になるにつれ、読まず嫌いが多くなり、仕事やら普段の生活やらで読書時間が限られてきてますます好きな本しか読まなくなり・・・。
で、今は本に囲まれているのに読書がほとんどできていない、という日々。
歳を取り理解力も集中力も視力も衰えてきているけれど、でも読書で感動をする気持ちはまだまだある!(と信じたい)
今まで出会った1冊、これから出会う1冊を少しずつ。
少しずつ、少しずつ記録していこうと思っています。
よろしくおねがいします。